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2005.12.31.手術成功

26日(月)めでたく手術は成功、神経はちゃんとつながりました。
手術前、最初に治療してくださった近所のT先生に報告がてら診ていただきました。すると「本当にやるの?患者さんの術後の負担も大きいし、技術的にも顕微鏡レベルの、けっこう大変な手術なんですよ。大丈夫?」と真顔で諭されました。いや、いまさらそう言われても・・(^_^;)専門の先生のご判断ですし・・・。そうは言いつつも優しいT先生、いろいろとアドバイスをくださってはげましてもらいました。

さて当日。手術室なんて所にあまり入ったことがないので患者のくせに好奇心丸出しです。更衣室で手術着に着替え、シャワーキャップのような帽子をかぶり、これが大手術なら点滴をしながらストレッチャーで運ばれるところを、スリッパですたすたと歩いて手術室に移動。手だけなので看護士の方や先生と雑談しながら麻酔が効くのを待っていたり、およそ緊張感のない状況です。様子が全部見られるのかと思ったら、しっかり腕の所に布が下げられてしまいました。麻酔が効いていて、布が下がっていると何をしてもらっているんだかさっぱりわかりません。「これから手術を始めます」とか「まず、最初に縫ってあった所を抜糸します」とか経過を言ってもらいながら進んでいきます。「あー、やっぱり神経切れちゃってますねー。でも薄皮1枚の所でつながってる。縫いやすいし、術後の経過もいいと思いますよ」「わーい、ありがとうございます」「はい、終わりましたよー」

包帯を巻く前に縫合したところを見せてもらいました。横に入っていた最初の傷の左上と右下に、今回の手術で切り広げた傷があります。それはあみだくじの一部みたいに、下に進み、横に行き、また下に進んだという感じ。最初の傷は5針でしたが、今回切った上下も合わせると全部で15針になっていました。うわーぉ。縫合の糸は黒。1針ごとに結んで糸を切っているので、短いむだ毛が2本ずつ並んで生えているみたいに見えます。ぷっ。手術台でこんな不謹慎なことを考えるようなヤツだから、近所のT先生も心配なんでしょうね。

のんきにしていられたのも術後1時間後ぐらいまで。麻酔が切れたら上下に切った傷がかなり痛みだしました。縫うほどの傷なら痛くて当たり前です。最初の傷が全く痛くなかったのは、怖いことだったんだなーと実感しました。逆に考えると、痛みが無いというのは、体の状態はどうあれ平気で暮らせるということで、ガンの疼痛コントロールとか、そういうことはとても大切な事なんだとも思いました。

翌日もまだ痛みは続きました。落ち着いたのはその次の日ぐらいからです。じっとしていると痛いばかりですから、帰宅直後から「成功したよー」と友達にメールしたり、いろいろな事をしていました。右手だけでキーボードを打つのも上達しました。ってこんなの上達してもねぇー(^_^;)

手術の翌々日は強羅の温泉に旅行する予定でした。執刀医に相談すると「ああ、いいですよ。いってらっしゃい」「えっ?いいんですか」露天風呂で左手を上げながらあったまっちゃって・・・。T先生がごらんになったら目を回すかもしれないです。たはは。

つなぎたての神経は切れやすいので、2週間は固定しておきます。「金属の板で固定します」と説明されて、サンドイッチのパンと具みたいに、鉄板で指を挟んでおくのかしら?と想像していたら違いました。スポンジ付きのアルミの板を指の形に曲げて、その上からテープや包帯で固定します。指がゆるーく曲がった状態にしておくのがいいのだそうです。長い時間固定しておくと指が固まってしまうため、傷が治ってからはリハビリも必要とのことでした。うー、まだまだ長い道のりです。後は治っていくだけだから、精神的にはすごく楽ですが。チャクチャクのRioネタは自分で作れないかも・・・。それともリハビリ代わりに作っちゃうとか(笑)?。

2005.12.25.またやっちゃったー

おかげさまで五十肩はテニスができるほどに回復しました。やや固いフォームながら、サーブもスマッシュも肩が上がります。「おめでとう、わたし!!」と、新しいラケットも購入してうかれていたら、またまたやっちゃいましたー。今度は切り傷です。

聖護院大根という、巨大なカブみたいな形をした大根に包丁を入れようとしてずるっと包丁がすべり、なんと左の人差し指を切ってしまいました。たいしたことないかな?と思いながらも念のため近所の整形外科にいったら5針も縫われてしまいました。あらあらびっくり。怪我をして縫うという経験は初めてで、処置中にまじまじと見入ってしまい、お医者さんがやりにくそうでした。
翌日はパフォーマンスと風船教室の仕事が入っていました。しかも家から2時間半の長距離移動です。いまさらキャンセルできないし、右手は使えるからなんとかなるかーと出掛けて行き、あまり複雑にひねる物は避けて2回のステージを切り抜けました。スタッフは皆さん各コーナーにかかりきりで、今回はお手伝いの方はいません。風船教室用の下ごしらえに、150本ほどふくらませるのも、「むすぼう」という道具を使ったり、薬指と小指でむすんだりとかで、コツをつかめばなんとかなりました。

仕事に穴をあけなくてすんでよかったものの、いい年をして、ほんとに落ち着きの無いアホな人間だと思います。そのうえ、5針縫った当日も「撮影だー」とカメラをいじり、翌日は手を酷使する仕事にでかけてしまうのも、かなーりどうかと思います(^_^;)。よい子は決してマネしないようにしましょうね。

お医者さんには「縫うのに麻酔をしたけれど、これからすぐに痛みも出ますし、しばらく手は使い物になりませんよ」と釘を刺されていました。が、実は切った直後からずっと、安静にしていればほとんど痛みを感じないのです。風船をひねってもあんまり痛くない。。。切った場所から指先にかけて、じわーんとしびれている感じはいつもありますが・・・。
これは知覚神経というのを切ってしまったために起こる感覚らしく、3日たってもしびれた感じが取れなかったので、近所のお医者さんにお願いして専門医を紹介してもらいました。手や足は複雑ですし、整形外科の中でも手の専門の方は「手の外科」、足の専門の方は「足の外科」という標榜があることや、日本手の外科学会、足の外科学会というのもあることを、初めて知りました。

で、手の外科の専門医に診ていただいたら「神経をつなぐ手術をしましょう」とあっさり言われました。
今回私が損傷してしまったのは知覚神経です。運動神経は別なので、指はちゃんと動きます。でも指先に熱い冷たいの感覚が無いし、しびれた感じがずっと残るのは風船を扱うのにも困ります。神経はぴんと張ったゴムひもと同じで、切ってしまうと縮んで、傷の上と下に離れていってしまうのだそうです。傷を縫ってあるからいずれは神経もつながるのかしら?と思っていたら大間違いでした。

しかも、神経は切ってしまうとダメージを受けて死んでしまうとのことでした。きちんとつなぎなおすと、1日1mmいくかいかないかぐらいの速度で、少しずつ少しずつ健全な所から再生し、半年から1年かけて元に戻っていくのだそうです。人間の体ってすごいですね。でも、きちんとつながないことには、はずれた水道管に水は通らないのと一緒で、元には戻らない。つなぐ手術をするのに、傷の上下をさらに切り広げなくてはならず、ちょっと大変な事になりそうです。ひぇぇぇ。
昨日、クリスマスイベントの仕事を終えて今年のバルーンは終了。明日の3時が手術です。なんだかこのところ、怪我だ故障だと続いています。新年は厄払いにちゃんとお参りしよう・・・。。

2005.09.11.集中豪雨

先週土曜日の集中豪雨で停電・断水に見舞われました。家にいてそれほどの豪雨という感覚が無かったので、夜いきなり真っ暗になった時「あれ?」一瞬ブレーカーが落ちたのかと思いました。

ブンブン振ると発電して明りがつく懐中電灯を振り回しながら、家中の懐中電灯を引っ張り出し、とりあえず水をためました。後は「暗いから寝ちゃおう」と寝てしまうと、翌朝は予測通りの断水でした(^_^;)。防災グッズはいろいろ買い揃えてありましたが、一番間抜けだったのが手回しハンドルで発電する手回し充電たまごという商品。ラジオ・懐中電灯・携帯の充電と優れものです。ではありますが購入したのが結構前で、ウチのどの携帯電話にも合いませんでした。あっちゃー。ケーブルだけ新しい物を別売してくださるとか、何か対策は無いのでしょうか?

停電と断水の環境でご飯を作るのも新鮮な体験でした。ガスは出ていたのであまり大変な思いをせずに作れます。泥付きの野菜を洗うのはお水を使うのね、とか 水をためる容器にはコックというか、蛇口が付いていないととても不便なんだとか、やってみて初めてわかる事も多かったです。ウチの一帯だけが被害を受けたけれど、周りは何の障害も無かったので、さっさと電車に乗ってハンズにキャンプ用品の買い出しに。コックの付いたポリ容器を買ってわーい、これでO.K.だーと戻ったらすでに水が出るようになっていました(笑)。停電も約2日で復旧しました。ちょこっと体験したぐらいのレベルで済んでよかったです。

阪神淡路大震災を体験した方が「食器にラップをして盛りつければ、ラップを捨てるだけで洗わずに済むので便利」とおっしゃっていたのを思いだし、ラップがけの食器でいただきました。これはナイスアイデアです。停電で冷蔵庫の中身が心配なので、できるだけ食材を使い切らないといけません。復旧後も懸命に作りまくっていました。

懐中電灯の明かりでも悪くはありませんが、やはりろうそくの明かりがきれいだなと思いました。倒れて火災になると怖いので、背の高い花瓶の中にセットしてあちこちに置きました。炎もけっこう明るいんですね。高級料理店に行ったように素敵なキャンドルの明かりで、ラップのお皿に盛りつけた食事(^_^;)。ロマンチックなような、若干悲惨なような・・。うーん。

教訓・ろうそくと乾電池は多めに備蓄しておいた方がよい。あと、自分の携帯に合った携帯の緊急充電器もね。

2005.07.29.ツイスターズ2005

たいへん遅くなりましたが、ツイスターズ2005、とても楽しかったです。つい昨日のことのように思えますけど、もう一ヶ月以上前の出来事になってしまいました。シュウさん、ヨッシーさん、謎の黒幕Tさん(笑)、お疲れさま、そしてお世話になりました。

えー、そもそもワタクシ、東京から大阪へ行こうとするだけで大騒ぎでした。よく考えたらここ十数年、友達や家族と出かけることはあっても、自分であれこれ手配して旅することは無かったので、我ながらあまりの世間知らずにびっくりです。まず、新幹線の切符ってどこで買うの?から始まって、もろもろの事にオロオロ。宿の手配・交通の下調べなど、ナンシー&アリスのお二人におんぶに抱っこ状態でお世話になりました。帰宅の時も「Rioさんをちゃんと新幹線に乗せなくちゃっ!」と使命感に燃えるお二人のおかげで、なんとかその日のうちに帰れました。持つべきものは頼りになる友人です。ありがとうございます。

来年は、ナンシー&アリスのお二人がディレクターでツイスターズ2006in小牧が開催されます。もう新幹線の切符の買い方もわかったし、次はなんとか行けると思います(^^;)

去年の板橋は片道40分で行ける所でしたし、いわゆるアフター5に参加することも無く、真面目に(?)通っていました。なので、ツイスターズの印象は「巨大なオフ会みたいだー」でした。今年は自分の立場が遠距離移動プラスお泊りだったので、大阪ツイスターズの印象は「修学旅行みたい」。始発に乗って出かけて、翌日の終電で帰るまでの二日間、ずっと友達と一緒。会場は風船語を話す、風船仲間との時間でした。

なかには一晩中人生相談で過ごした人々もいらしたようで(笑)そういう、時間外の世界にもちょっぴり参加していたんだなと思うと、いい思い出です。Rioは同室のおちびさんと爆睡していましたけど・・。

犬を飼い始めた親戚が「犬を連れて歩いてるだけで、初対面の人からもいきなりフレンドリーに話しかけてもらえる。犬仲間はお互いにまず好意のビームが来るねー。すごいよ」と言っていました。ツイスターズもそういう所があると思います。ジャムルームは濃い個性の人たちの、好意のビームであふれかえっていました。全然知らない人だろうが誰だろうが、バンバン教えあって、ひねりまくって、時間があっという間に過ぎていきます。今回はセミナーも自分なりに厳選したので(ばっちり粒ぞろいでした(^o^))、ジャムルーム滞在時間もけっこうあって、いろいろな人たちからたくさんの事を教えてもらいました。とっても充実した二日間でした。

こーんな楽しい集まりを、去年立ち上げてくださったSHINOさん、Junさん、そして今年の大阪スタッフの皆さんに感謝します。

2005.06.05.記憶に残る痛み

今、風船チャチャチャの追い込みです。ここにのんきにコラムをアップしていてはいけないのですが、昨日の体験がかなり強烈だったので、感覚の新しいうちに書き込みますね。

ここ1ヶ月ほど「肩関節周囲炎」というのをわずらっていて、右腕が45度ぐらいしか上がりません。いわゆる五十肩です。まだ、五十代ではないんですが(^^;)。先日女子ゴルフの十代の選手が肩関節周囲炎という報道があったので、お大事にと思いつつも「仲間だー」と嬉しくなっちゃいました。Rioの趣味はテニスで、普段はコンスタントにテニスをやっています。テニス仲間でも肩関節周囲炎はポピュラーで、実は私も左、右と以前にやっていて、今度が3回目。前の2回はペインクリニックであっという間に治していただきました。今回もたかをくくっていたら、全然治りません。

実はチャチャチャの追い込みで連日パソコンの前にいる時間が長く、たぶんただごとではない肩こり状態になっていて、どんどん悪化したのだと思います。それはお医者さんには言ってませんけど(^^;)

で、いつもは3日もたたないうちに劇的に改善するのに、今回は全然効果無し。ついにペインクリニックの主治医が「直接神経を狙い撃ちにするの、やってみる?ボクもその治療受けたことあって、やめてくれぇと思うほど痛かった。まあ、天国と地獄を同時に味わえますよ。」と提案してくれました。なんでも日本でもトップクラスの先生が、土曜日にだけ来てくれているから、その方に診察してもらいなさい、とおっしゃるのです。「えーっと、それは今までローンで払っていた痛みを、一括払いするようなものですか?」「はっはっは。そんなもんだね」お金は余り無いけれど、一括で払おうじゃありませんか。喜んで了解して時間を予約、昨日の土曜日に診察と診療を受けて来ました。

初めてお会いする「日本一」の先生は、とても愉快な方でした。「ボクはね、症例数で日本一なの。4千例以上に立ち会ったよ」
すごい数ですね。

レントゲン室に入り、X線透視下で、モニタを見ながら、骨の位置から神経のある場所を確認して針を刺します。私の場合は5番と6番なんだそうで、首の、のどぼとけの斜め下ぐらいの位置です。局所麻酔をしてくださっているので針を刺す時は痛くありません。でも、神経に薬を直接注射する時に痛いそうです。「まず右手の人差し指まで刺激が走るからねー」「うわっ」瞬間に人差し指の先までしびれるような痛みが走ります。けっこう速い。
「うーん、一発できれいに通ったねー」「はい、次はここねー。今度は肘のそばまで刺激が来るよ」「うおっ、来ました」なーんだ、それほど激烈な痛みじゃないですよと、主治医に言おうとしたその時、「じゃ、手をあげてみようか」と日本一の先生が私の腕を掴むと同時に肩を押さえ、45度しか上がらない、ロックされたような手をぐいっと真上にあげました。その瞬間、肩がめりめりめりっというか、めきめきめきっと音を立てて、地滑りを起こしたように動きました。「いたたたたた!!」それはもう、しばらく記憶に残るような痛みです。いったい何がおこったのでしょう?

「肩が、もう癒着しちゃって動かなくなってるんだよ。だから無理矢理動かして剥がしちゃうの」いや、ちゃうのって・・。「これ、何も注射しないでやっても動かせるんだけどね、それすると激痛で大変なの」いやいやいやいや、もう充分激痛ですよ。
その後も斜め左に思い切り動かすやら何やら・・「うぁたたたっ」。私、腕力は多少あるので(^^;)痛さのあまり抵抗したらしく、「日本一」の腕力に勝ってしまいました(笑)。

「そんなに力入れちゃダメでしょー」
いや、もう、僧坊筋と三角筋と上腕二頭筋、三頭筋あたりが不随意筋と化して全力で抵抗してるんですけど・・・。

「うーん、たぶん何回か治療しないとダメだね」うそっ、このすごいの何回かですか??動かす時に抵抗しちゃったからかしら?「ボクは弟子にやってもらって13回受けたよ」そんなー、こんなの13回受けたくないですぅ。

で、いろいろ動かして可動範囲を広げてもらい、後はベッド上で1時間の安静と経過観察。でも、動かしてもらった所が痛いからじっと寝ていられません。モニタ機器を付け、血圧計を付けたままの状態で1時間もぞもぞ動いていました。痛みの一括払いはなかなかの体験でした。昨日はがっくり疲れて病院から帰宅しました。いやー、体が緊張しているんでしょうね。痛みは疲れます。のどにはドラキュラの牙に噛まれたような感じで、2つの注射の後が残っていました。

さて、主治医の言ったように地獄の後にいきなり天国はやってきませんでした。確かにひょいと動かす時の可動範囲は広がりました。でもまだサーブやスマッシュは打てそうにないですね(^^;)。来週早々にまた病院へ行って、経過をみていただきます。

治療の痛みとは別に「日本一」のドクターのキャラがすっごくおもしろかったです。治療は抜きで、またお話が聞きたい・・・。

2005.04.25.野毛大道芸

今年の野毛は、二日ともすごくいいお天気で最高の環境でした。会場が広大になってきていて、見たいパフォーマーの方々があっちの端とこっちの端だと、着いた頃には終わっているという状況が発生します。真面目に、折りたたみ自転車を買って会場まで持って行くのはどうだろうか?などと考えてしまいました。

今ではすっかり「カレー仲間」になってしまったBさんと会場でばったり会うと『ランチはらっきょに行ってスープカレーを食べて来ました』『マジですか。僕も帰りはカレミュ寄ります』なんて、食い道楽な会話をしたりしておりました(笑)。大好きな大道芸だけでなく、いろいろな楽しみが横浜方面にはありますデス。

土曜日のBaoのショーは、白を中心にけっこう割れていました。黒や濃い茶色(今は廃盤)など、特定の濃いめの色は1袋全部アウトぉ、という事もあるんですが、白でもダメな時はダメですね。Rioの在庫にも、クレーターのようなブツブツとした穴が空いている物がたくさん入っていたことがありました。Baoは翌日ショー用の白を全部入れ替えたそうです。まぁ、そこはプロの芸人さん、どう割れようがうまいことネタにしてしまって進めてしまうので、その程度なら落ち着いて見ていられます。

落ち着かなかったのは日曜日のショーで金魚を作った時。まさかアレをやるとは思いませんでした。Baoが小さい金魚を作って透明なラウンドを出した所で、ファンサイトで事情を知っているお客さん達の間には「うそ、やるの?」みたいな空気が漂いました。あのスタッフィングは最後どこか固定した所に両手で押しつけないとうまくいきません。ベルトに磁石をくっつけてハサミが付くようにしているからお腹は使えないし、下はコンクリートで割れてしまう。正座して太ももでも使う?ショーでそれはないでしょ。『無理、無理、ぜったい無理』と、見ているこっちがハラハラしました。2度失敗して、3度目の挑戦で入った時には「おおーっ!!」と会場全体に歓声が上がりました。脱いだ上着を地面に広げてその上で押し込んだ、とっさの機転が功を奏したと思います。プレゼントされたお子さんはとっても嬉しそうでした。

ちなみにあの金魚、ようやく今日「できましたよ」と、読者の方からメールをいただきました。日本中でいったい何人が成功したのでしょうか?(笑)

2005.04.23.インフルエンザで歯医者さん

先日インフルエンザで熱が出た時、腰や節々も痛かったのですが、治療済みの奥歯の根がすごく痛んでびっくりしました。熱と共に歯の痛みも消えたので、そんなことはすっかり忘れて暮らしておりました。

ところが、先週食事をしていたらいきなり「ごりっ」と異物を噛んだ音と感触。治療してあった奥歯に詰めてあった物がぼろっと取れてしまいました。おりしも病院はやっていない土曜日の夜です(^^;)。月曜日を待ってかかりつけの歯医者さんに駆け込むと、どうにかつけ直してもらいました。「どうして取れちゃったんでしょうね?」という疑問から、インフルエンザの時を思い出して先生にお話してみると「ああ、ウイルスで歯の根から炎症を起こして、少しずつひずみができてゆるんじゃったのかもしれませんね」というお答えでした。うえー、そんなことがあるんですね。

インフルエンザは立派な感染症。知人はウイルスが脊髄に入り込み、あわや半身不随になるかもという所までいってしまったそうです。幸い何事もなく回復しましたが、かなりの期間入院して大変な目にあったということでした。私は歯ですんでよかったのかもしれません。

2005.04.10.午前2時のドキドキ

深夜、いきなり「ピンポーン、ピンポーン」とインターホンに連呼されて起きました。ドアノブを回したり、ドアをガリガリと引っかくような音も聞こえます。鍵穴に何か差し込んでいるようです。家族は全員家の中で爆睡中、確かこれ以上家族はいないはず。いったい誰が何をしようとしている? 時計を見たら午前2時です。

ピッキングにしては大っぴらすぎるなーと思いましたが、泥棒なら家に人がいるのがわかったらあきらめるだろうと、内側からドアをガンガン叩いてみました。「あ、オレ。開けて!!」 はい? 最近のオレオレ詐欺は夜中の訪問をするのか?
私もようやく寝ぼけていた頭が回り出しました。きっと家を間違えている・・・。ドアの穴から外をのぞいてみると、青年がドアにもたれて床に座り込んでいます。ありゃりゃ、酔っぱらってるわ。「家、間違えてませんか!!?」と声をかけると、はっとして周囲を見渡し「すいませんっっ、間違えましたーっ!!」と酔いも覚め果てた様子で走って行きました。ああ、フツーの酔っぱらいでよかったー。一瞬アブない人かと心配しちゃいましたわ。

翌日、「昨日はたいへん失礼しました」と青年があやまりに来ました。自宅だと信じていたのに自分の鍵でドアが開かないので、彼なりに混乱したとのことでした。昨夜はよく見えなかったけど、昼間見たら近所の顔見知りのお兄ちゃんでした。なんだー、****君じゃないの。あの時は、何かの犯罪??と、私もすごくドキドキしました。こういうドキドキはもうかんべんしてもらいたいなー。

2005.03.30.インフルエンザ?

風邪で寝込みました。熱が出たのは何年ぶりだったか、ちゃんとした記憶がないぐらい久しぶりに水枕のお世話になりました。まず家族の1人が寝込んで、薬局に行ったら熱さまシートなどいろいろな種類の商品が出ていてびっくり。おもしろがっていろいろ買い込んできたら、次の日には自分が使う事に・・・(^^;)。

ちょうど花粉の季節で、花粉症の症状がひどい時はぼーっとして寒気もあるため、はじめはてっきり花粉のせいかと思っていました。しばらくしたら頭がガンガンして節々が痛くなり、熱を測ったら38度4分。あ、こりゃ完全に風邪だわ。何年も前に治療した奥歯まで痛みだしたのには驚きました。

これはインフルエンザなのかな?病院に行った方がいいかな?と思うのに熱が高くてあちこち痛い、歯まで痛い。こんな状態で病院までたどり着くのは無理だー。ある程度は元気じゃないと、病院って行けないのね。。。などとおバカな事を考えながら寝ていました。例によって家に在庫していた物を引っ張り出し、まずはウイルスにも効くという中医の板藍茶(ばんらんちゃ)を、起きるたびにがぶ飲み。あとは「天然の抗生物質」と言われるハーブ、エキナセアも服用。どうにか1日で熱が引きました。

力ずくで治したためか、その後1週間ぐらいは夜とても眠かったです。9時を回ると「眠いー」無理をしないでなるべく早く寝るようにしました。
知り合いの娘さんは予防注射をしたにもかかわらず違う型のインフルエンザにかかり、治ってしばらくしたら今度は妹さんのインフルエンザをうつされて、1シーズンに2度もインフルエンザにかかってしまったそうです。そんなのあり? というような話でした。

2005.03.04.にわか店員

先日、都内某デパートの物産展で、種子島の能野焼(よきのやき)という窯の焼き物の販売をお手伝いしました。そもそもお手伝いすることになったいきさつは、高校時代の友人の突然の転居です。友人が毎年ここをお手伝いしていたのですが、いきなり長崎に引っ越してしまったために「Rioよろしくね」って、おいーっ。私はそれほど陶芸に詳しくはないし、その焼き物を使った事はないのです。それなのに「登り窯で焼き締めてありまして、使い込むほどにいい色に変わってまいります」だの「これは窯変(ようへん)がみごとなので通常の品物よりお高くなっております」だのと、見よう見まねでお客様に対応し「どれにしようか」と3点を見比べていたお客様には「3つともいかがです?」などど無茶を言って、2点お買いあげ(^^;)に持っていってしまいました。

初日から「食事にいってきまーす」と、こんな素人を一人で店番に残してしまう窯元もかなり大胆だと思いますけど、あっさり引き受ける自分も自分だと思います。

おりしもチャチャチャの撮影で大騒ぎの時と重なり、友人にS.O.S.を出して交代で勤務しました。友人は「販売は向いてないわ、私」とかなりへこんでいましたが(笑)。

物産展の前日、荷ほどきをお手伝いしていて、チャチャチャの風船撮影用に惚れ惚れするようなお皿がありました。お値段を聞くと気軽に買えない。いきなり窯元に「一日貸してください」と交渉して抱いて帰り、翌日に撮影、その日の夜に返しに行くという暴挙に出てしまいました。こわれものなので、もしも割ったらたいへん。かなり気をつかいました。いろいろな物を借りてきて撮影するフードコーディネーターの方や、スタイリストさんの苦労がちょっぴりわかったような気がします。

後半になって、この窯のカップを家でも使い始めました。なかなか味があるし使い勝手もいいです。とうとう「今度こんなお皿を私用に焼いてください」と窯元にオーダーを出してしまいました。焼き上がったらバイト代がふっ飛ぶかもしれません。

物産展最終日。午後5時に会場終了のはずなのに、昼を過ぎたらとっとと片づけを始めるご近所のブース。焼酎売り場なんて、もう2本ぐらいしか置いてありません。いいの??お客様は流れているのに背中を向けてガンガン荷造りをしている向こうの売り場。わーお。5時を過ぎた正式の撤収は壮観でした。フロア全体が「巨大な夜逃げ」状態です。皆、残った商品をものすごい勢いで梱包していて通路には台車が大量に行き交います。ここは暮れの築地市場か?みたいな感じでした。いやー、最初から最後までおもしろい体験をさせていただきました。窯元ありがとう。

2005.03.01.風船チャチャチャ

Baoの本を作ろうと奮闘中です。昨年暮れあたりから作業に熱中することも多くて、自分のサイトもファンサイトの更新も滞りがちでした。いろいろな方から「どうしたの?」とご心配のメールをいただいて、申し訳ないやらありがたいやら・・。先日やっと撮影が一段落したのでそろそろ大っぴらにしてもいいかな?と ファンサイトからも「メイキングチャチャチャ」のページにリンクさせました。実はBaoのページのローカルな場所の下の方から、密かにリンクが張られていたのですが、さすがにそこに気が付く方は少なかったですね。でも、何人かたどり着いていてびっくりでした。

Rioは文学部出身でして(^^;)、自分の書いた文章が本になるなんてくらくらしちゃいます。ましてや内容が、だいっ好きなBao作品。撮影もめちゃくちゃ楽しかったです。デジカメのファインダーをのぞきながら「かっ、かわいい・・」「はい、こっちにカメラ目線ねー」って、相手は風船だってば(笑)。これからはパソコンに向かう作業が多くなります。さて、いつ発売にこぎつけられるのでしょうか。さっそく「早く手にしたいからがんばってねー」と応援メールをいただいちゃいました。ありがとうございます。

2005.02.05.新製品

先月新しいパソコンを買ってしまいました。初めてパソコンの入門機を買った時より安く、かなりのスペックの物が手に入ります。メモリも限界まで積んでしまいました。値段が下がったなーと思います。それでも家電製品を買う感覚でいけば、まだまだ高価な物。まして食料品などを買う時はは10円単位、1円単位で物を考えるのに、十万単位で「いゃぁ安くなったなぁ」というのも変な話なんですけどね(^^;)。

今回、トラックボールというマウスに代わる物も買いました。これは使い慣れると抜群に便利です。私が初めてトラックボールを見たのは某パソコンショップ。スタッフが業務用に使っていました。キーボードの隣に水晶玉みたいな大きさのボールが・・あれは何? と興味津々で見ていると、ものすごく操作が速い。今から思うと、あれはかなりボールの大きな機種だったようです。そんな頃から時は流れて、今は光学式の製品も出てきました。私が購入したのもケンジントンというメーカーの光学式。ボールの周りにボタンがあって、ソフトごとに操作の割付ができます。おもしろがっていろいろ試してはころころしています。
前のパソコンで使っていたのは、タブレットとセットになっているワイヤレスマウスで、これもなかなか捨てがたかったけれど、新しいパソコンに対応するドライバがもうありませんでした(涙)

トラックボールで検索するとファンのページもあります。ここまで行くと「ファン」という言葉で済まされるの? と思うぐらいすごいです。

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